Ci-en

 

booth

温度

誰も居ない2月の学校。
響くのは拙い、しかし真摯なピアノの旋律と、美しい美しい歌声。
唐突に歌声が止まり、呼応するかのようにピアノも止まった。

————。
目の前で天使が涙を流している。
「どうして泣いているの……?」
私は問う。

「え……?あれ?わたし……」
手の甲に水滴が落ちて、彼女は初めて自分が泣いていることに気がついたようだった。
「わかりません……」
本当に不思議そうに頬に伝ったそれを子供じみた仕草で拭う。

「そう」
静かに溢れだすようにこぼれた涙。慟哭も嗚咽も悔恨も無く。
確かにそれに説明を加えることは不可能かもしれない。

「最近、よく泣くわね」
「…………」
恨めしげな顔をして志摩子は見つめてくる。
揶揄するように言ったものの、実際は彼女が私の前で泣いてくれたことが嬉しくてたまらなかった。
同時にそういう風に感情を露にして見つめてくれるようになったことも。
もっとその表情を見ていたい。彼女の生の感情を少しでもたくさん掴み取りたい。
そう思って、違う話題を振る。

「……時々考えるのよ。もしわたしが白薔薇さまの妹で、あなたが私の妹だったらって。おかしい?」
「……おかしくな……いえ、……」
志摩子は答えかけた口を閉じ、少し逡巡する。
そして、改めてこちらを見るとはっきりと言った。

「おかしいです」
驚く。少し困らせるつもりで言ったのに、反撃されるなんて。
「白薔薇さまの妹は、私です……」
震える声で、しかし珍しくはっきり強く、志摩子はそう言った。
ただ、またぽろぽろと双眸から涙をこぼしながら、だが。

「あれ……また、私……」
不思議そうに服に落ちた水滴を見る彼女がふいに無性に愛おしくなる。
「ほんとは泣き虫さん……?」
親指で、涙を拭ってあげた。頬を撫で、前髪を弄ぶ。
瞳を見つめる。
戸惑うような光と何かをくすぶらせているような暗さ。とても深い色を織り成している。
こんな色を見たのは初めてだった。
その色が、ゆらゆらと揺れ動く。
投げられた小石で生じる湖面の波紋のように。
迷っているのだ。私という存在をどう判断したらいいのかわからなくて。

求めるほどに遠くなる彼女達。
柔らかさを脆さや弱さと思いつめて自分を罰する姉妹。
その片翼の魂の半分が、今まさに私にわずかでも心を開いてくれようとしている。

でも、私のなかには雪と氷に閉ざされた彼女達を融かす決定的な言葉はなくて。
たまらなくなって、私は彼女の頭を胸にかき抱いた。

「静さま……?」
「暖かい?」
物理的な暖かさなんて、焼け石に水なのは知っている。でも、こうせずにはいられなかった。
「……はい……」
志摩子がそっと体重をあずけ、私の背中におずおずと手を回してくる。
そのことに私は気をよくし、少しでもいい気持ちになってくれたらと思い、彼女の後頭部を
優しくなでて、柔らかい髪を手で梳いてあげた。
「くすぐったい、です……」
「やめたほうがいい?」
「……いえ……続けてください……」

救ってあげたいし救うことによって救われたい。
でも自分にはその力が無い哀しさ。彼女を救うのが自分ではない虚しさ。
しかしそれでも、一時の安寧を願って。優しく抱き締める。

そのまま……どれくらい経っただろうか。
部屋には低い嗚咽が響いていた。
「……ッ……ぅっ……」
「ひくっ……く、ふ……」
止め処なく溢れる感情を持て余す小さな肩。
何もいわずに、ただ頭と背中を撫でながら、彼女が口を開くのを待つ。

頭が胸のなかで少し動いたかと思うと、細々と言葉を紡がれる。
「どうして、そんなに優しく、してくれるん、ですか……」
「私になんか、優しくしないでください……。優しくされる資格なんて……」
「…………」

今度は言わないんじゃなくて、言えなかった。
胸のなかには彼女の言葉がこだまして、耳元ではわんわんと鳴った。
哀しい告解はまだ続く。
「毎日、霧のなか、歩いてるみたいで……」
「いまにも足元が抜けて落ちていってしまいそうで……」
「白薔薇さまが手を繋いでくれたけど、それももうすぐ……」

「暖かい?」
こちらの胸まで張り裂けそうなことばかり発する口をとめるための、唐突な質問。
さっきもした、バカみたいな質問。
自分のできることの小ささに半ば諦めを感じながら。

「?……あ、はい……」
「あなたは、光を目指して歩いているのかもしれないけれど」
感じたままの、でたらめ。
だけど嘘ではない。
「霧の中じゃ、光は乱反射してよく見えないわ」
少しでも伝わるといい。
「だから、暖かさを目指すといい」
言葉がもどかしい。
「こんな風な……ね」
「…………あたたかさ」

「そうよ……わかる……?」
耳元で囁いて、今度は優しくではなく強く抱き締めた。
小さな頭を、細い首を、まだ幼い胸を、華奢な腰を、頼りない背中を。
強く強く抱き締めた。

数瞬後、少し体を離してもう一度瞳を見つめる。
深い色のそれに指をかざし、まぶたを閉じさせ……
ゆっくりと口づけた。

「……嫌じゃない……?」
「嫌じゃないと、思います……」
うっすらと眼をあけてぼんやりと彼女は答えた。

今度は鳥がついばむように、小刻みなものを繰り返す。
唇だけでなく、頬やまぶたにも。
「ん……」
「気持ち、いい……?」
「わ、からない、です……」

「正直ね。気持ちいいって言っておくものよ」
一旦体を離し、ピアノのカバーを手にとり、それを床に敷く。
そこに志摩子を座らせた。

後ろから抱きつきながら、その耳に囁く。
「このカバーって、分厚くてけっこう暖かいのよ……。知ってた?」
「ん……知りません……」
「そう……。白薔薇さまなら、知ってるかもね」
「……静さまは、意地悪です……。今は、そのことは……」
肩越しに振り返って睨んでくる仕草までも可憐で、嗜虐欲を刺激した。

ふわふわとした髪をかきわけて、首筋を露出させる。
白くて象牙のようなうなじ。
「あ……はぁ……」
そっと吐息をかけただけで志摩子は体をふるわせた。

「服、脱がせてもいい?」
「…………」
「志摩子さん?」
「…………」
「いえ、"志摩子"。脱がせてもいい?」
「……はい……」
「ありがとう」

後ろから手を回してブラウスの上のボタンをいくつかはずし、
カーディガンごと一気にずりおろす。
首と同じように、あるいはいっそうに白い背中。

「さすがに羽根は生えてないわね」
「からかうのはよしてください……」
「ほんとに生えてたらどうしようかと思っただけよ。天使っていうよりは、渡り鳥のイメージだけど」
肩甲骨のラインに指で触れると、震えが伝わってきた。

「寒い……?」
肩甲骨から、露になった背骨をなぞりながら聞く。
「少し……」
「じゃあ今から、暖かくしてあげるから」
指は真っ白な背中を昇って肩を渡り、鎖骨に触れる。囁くような吐息が聞こえた。

反応が嬉しくて、今度は唇で同じルートを這う。
「はぁ……んんぅ……ふぅ、ん……」
彼女の肌はその心と同じように、酷く感じやすかった。
何度も何度も唇を這わせながら同時に彼女の匂いを吸い込む。
嗅覚は記憶に直結している感覚だから、決して忘れないように。
目眩がするような感覚が脳を満たすのを制御しながら、できるだけたくさん。

肌の滑らかさを堪能する唇が這うたびに、志摩子は感じているようなくすぐったいような声をあげる。
「はぁ……もっと見たい。もっと見てみたいの。これ、外していい……?」
くいくいとブラジャーのホックを引っ張る。
志摩子はこくんと頷いた。

「あの……」
「なに?」
「確認、とらなくていいですから……」
「……え?」
「好きにしてくれて、いいんです。今は、私は……静さまのものだから」
「…………」
「そう思ってますから……。もっと酷くされても、私……」

私は何も答えずにホックを外した。
「あっ……」
前にまわり、正面から彼女の美しい上半身をじっと見る。

「あ、んまり、見ないでください……」
「私のもの、なんでしょう?」
胸を隠そうとする腕をおさえてゆっくりと聞く。
「…………はい」
「じゃあ、見せて」
「…………はい」

観念したかのように志摩子は目を閉じ、全身の力を抜いて私に晒した。

手を伸ばし、そっと右手で乳房に触れる。
左手は、細くくびれいてる脇腹にそってさわさわと往復。
「ん……ッ」
眼をあけ、困ったような視線を上目遣いに向けてくる。
気にせず指を動かし、形が変わるのを楽しむ。
「柔らかい……」
「……ぁ……ッん……はぅ……」
力を入れるたびに、吐息が溢れた。

「痛い……?」
「は、はい……」
「力を抜いたほうが?」
「い、いえ……」
「……痛いのは、もっと奥のほう、ですから・……」

そのまま胸をいじりつづけると、だんだん先端が固くなってきた。
「たってきたよ……?」
囁いてやると、荒い息をつきながら目を伏せていやいやするように首を左右に振る。
そんないじらしい姿に私の胸の奥も刺激され……その先端を摘みたい衝動にかられた。
実行する。
「ふあぁ……!」
「ここ、きもちいい?」
またキュッと摘み上げる。
「ぁああっ……!」
「もっとして欲しい?」
「……ああ、はぁ、はぁ……」
「答えて」
やわやわと乳房をいじる動きに戻す。

「…………」
「して、下さい……」
「きもちいいから?」
「はい……。きもちいいから、してください……」
私は志摩子をカバーが敷かれた床に押し倒した。

カバーの内側の赤と、肌の白と。
対比の美しさに戦慄する。

高ぶった私は志摩子の頭の横に肘をつくと無理矢理に唇を奪った。
「んん……ッ」
唾液をたっぷり乗せた舌をナイフのようにして硬く閉ざされた唇を割っていく。
観念したかのように徐々に開かれていく口腔。
つるつるの歯をなぞって辿り付いたさきには熱く蠢く舌。
窺うように絡ませると、答えるように絡み返してくれる。歓喜に頭の芯がぼやけた。
「んむ……ぷは、はぁ、はぁ、ぁ……」
声とともにねっとりとした水音が響いていっそう淫らなムードを煽る。

長いスカートをまくりあげて太股を手で撫でる。
まだ少し強張っている。
「……力、抜きなさい……ん」
「んんぅ、ふはッ……で、でも……」

ますます強張ろうとする太股を、半ば強引に割り入って奥へと指を伸ばした。
「…………!」
指先に熱いぬめり。
嬉しくなって、同時に少し意地悪をしたくなって、その指を顔の前まで持ってくる。
「……や……」
ねとねとと、ぬめりを眼前で弄ぶと志摩子は斜めに視線を逸らした。
「もうわかったんだから。あきらめて、力、抜きなさい……」
志摩子は目を閉じると無言で体を弛緩させた。

「下着、もったいないわね」
彼女らしく白い、だが彼女らしくなく濡れそぼった下着を抜き取る。
そこまでは腰を浮かしたり、脚を抜いたり、協力的だったが
完全に取り払われてしまうと再び少し体が硬くなったようだ。

「ぜ、ぜんぶ、脱がさないんですか……?」
「あら、このほうがそそるわ」
なんとなく理不尽そうな顔をするが、自身のあられもない姿を自覚したのか
ヤ……とかすれるような深いため息をつき、いっそう体を朱に染める。

また少し強引に膝の間に脚をいれて固定して再び奥に指を伸ばす。
ぬかるんだそこは、力の入ったほかの部分とは裏腹に私の指を歓迎してくれているようだった。

「ほんとに感じやすいのね……」
「…………」
羞恥に頬を染め、しかし次第に指から送られる快感に身を任せようとする志摩子。
……だったが、急に思いついたようにまっすぐにこちらを見た。

「私ばっかり……ずるいです」
「でも、私がしてあげたいんだから」
「私も……したいです。静さまと、一緒がいいです……」
「それって……」

私は驚きに目を見開き言葉を反芻する。
素直に嬉しさが湧き上がってくる。
いつも独りで在る彼女が、一緒が良いと思って、言ってくれたこと。
例えこのときだけでも、それは意味のあることだった。
一緒が良いと思えることは、とても意味のあることだった。

服を乱雑に脱ぎ散らかし、半身を起こした志摩子を焦れるように思い切り抱く。
「きゃ、静さま、服が……」
「いいのよ」
ほんとにそんなものはどうだっていい。
それより今志摩子が感じている暖かさが消えないほうが大事だった。
じかに皮膚を重ねる。ああ、このまま同化できれば。
私の中にあるものを直接渡すことができれば。皮膚に隔てられていなければ。
半分本気でそう思った。

「静さまは、優しいんですね」
「そう……?」
「たくさん、下さいます」
「押し付けかもしれないわよ?」
「そんなことないです。私、壊れてしまいそうです。独りじゃ立ち上がれなくなりそうです……」
「そしたら、また誰かに頼るといいのよ」
少し体を離し、頬を撫で、微笑んで言った。

「そんな、他の誰かなんて……」
「でもあなたは知ってしまった。こうされることの心地よさを」
「…………」
「遠慮せずに頼ればいいのよ。倒れている旅人が助けを求めてきて、心配こそすれ
 迷惑がる人なんていないわ。迷惑がるような人は、あなたにとってどうでもいい人だろうし」

そこまで言ったところで、志摩子はたまらなくなったように私の胸に顔を埋め、くぐもった声で言った。
「ずるいです、お姉さまも静さまも……いえ、静お姉さまも……。
 心地よさや安心感だけ残して、去っていってしまうなんて……」
「……きっと、大丈夫だから……」
自分にも言い聞かせるように呟いて、頭と髪を優しく撫で続ける。
すると志摩子は何かを敏感に感じとったのか、はっとしたように顔を上げた。

「ごめんなさい、私、自分のことばっかりで……」
「……え?」
「静さまにとっても、皆から離れることは、一緒ですものね……」
……そうか。
だからさっきの自分は自分に言い聞かせるように「大丈夫」と言ったのか。

でも、それはどう答えても仕方がないことだから。
もう決めたことだから。
精一杯微笑んで、彼女の額に口づけた。
そのまま額の生え際のふちをなぞってこめかみに唇を近づけ……。
「続き、するね」
と囁いた……。
志摩子も精一杯微笑んで、はいと答えてくれた。


手が胸をまさぐりあい、ぬめりを絡ませあう。
私達はお互いに呆れるほどに濡れて、簡単に指を受け容れてしまう。
小さな、しかし大きい抵抗を退けて侵入していく。
「ああああっ……」
あわさるように声が響く。
膝を立て、足指ではぎゅっとピアノカバーを掴んで。
来るべきときを合わせるために耐える。


「う……ぁ……浮いて……く……」
溢れる液体が熱く伝わり、濡れる太股とお尻。
空気があたって少しひんやりすると、わずかに残った冷静な部分が自分達の行為を意識させる。
そんなものはすぐ流されてしまうけれど。
もはや相手に快感を与える道具と貸した指が、べとべとになったそこを摩擦する。

「はぁ、ああ、ああああっ」
弛緩していた志摩子のふとももに、急に力が入って指がしめつけられる。
「い、一緒に……」
私は夢うつつで囁き、腰を突き出して志摩子の指を押し付けるようにした。

独りと独りではなくて、二人で。

「だめ、静お姉さま、もう、私……!」
「あああぁ、志摩子、ん、あ、あ、あ、あ……!」
高みへ、或いは深淵へと。
私達は同時に辿り付いた。


「大丈夫?」
「大丈夫です……けど、大丈夫じゃないかも……」
「?なに、それ」
「静さまは、本当に優しいですね」
「そうね、普段から優しいけど、妹には特別ね」


「……私のお姉さまは、白薔薇さまですから」


今度は美しく微笑みながら、志摩子は言った。

窓の外を見ると雪が降っていた。
あのふわふわとした結晶が、冷たくないと素敵なのにね。
そう呟くと、そうですねと志摩子も笑った。
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