いばらの痕
聖が倒れたらしいと江利子に聞いて全身の皮膚が粟立つのを感じた。
冬休みを挟んだから長く感じるとはいえ、栞さんと別れてまだ実質数週間。
どんな不測の事態が聖の身に起こっても(またあるいは彼女自身が起こしても)おかしくない……。
そう思って、細心の注意を払って彼女を見ていたのに。不覚だった。
慌てて保健室に駆けつけると既に白薔薇さまと保険医が談笑していて、聖は静かに無防備に眠っていた。
保険医はただ疲れがたまっているだけだから大丈夫と言っていたが、私は気が気でなかった。
疲れがたまるということは眠れていないということではないのだろうか。
眠れない原因なんて……容易に想像がつく。やはり心配だった。目を離してはいけないような気がした。
だから無理を言って昼休みからずっと付き添わせて貰っている。我ながら大胆で意味不明な行動。
保険医に呆れられ白薔薇さまには苦笑されたが、ここで聖を見守る以外の選択肢なんて私にはなかったし
こんな状態でまともに授業が聞けるとも思えなかった。
ベッド脇にパイプ椅子を設置して、彫像のような端整な顔を見つめ続けた。瞬きすら惜しんで。
もうすぐ6時間目のチャイムが鳴る頃だろうか。外は冬らしくどんよりと曇っている。
保険医と白薔薇さまは5時間目にはそれぞれの持ち場と教室に戻っていったので、
もう1時間近くも聖と私は二人きりでこの白くて暖かい部屋にいることになる。
二人きり、だなんて。何を意識しているんだろう。軽く頭を振って余計な考えを振り払う。
聖は……静かに眠ってはいる。
ただ、引き結ばれた口元とときどき不快げに寄せられる眉がその眠りが静かなだけで
安らかではないことを示していた。
聖の心をこんなにも苦しめ乱すあのひとが羨ましい。
同時に私の心をこんなにも締め付ける聖が恨めしい。
「……はぁ、はぁ、はぁ」
しばらく当て処のない思考の海に沈んでいた自我を、苦しげな聖の声が表層に引っ張り出した。
「んくっ……はぁ、はぁ・・・…」
悪い夢でも見ているに違いない。
目を瞑ったまま眉間に皺を寄せ息をあらげ、白い喉を上下させてうなされている。
「大丈夫だから……」
そっと呟いて左手で頭を撫で、右手で弱弱しくのばされた手を握ってあげる。
強く握り返される右手。少し驚いたが、なされるがままにしていると聖は両手ですがりつくように
私の右手を胸元にもっていき抱え込んだ。倒れた、と聞いたときとは別の感覚で皮膚が粟立つのを感じた。
同時に鼓動が伝わってくる。
最初早鐘のようだったそれは、徐々に落ち着いてトクトクと安らかな音に戻る。
浅かった呼吸も、深くゆっくりなものへ。
私の心音とはまるで……逆。
胸が苦しい。でも、ずっとこうしていたい。
悠久とも思える一瞬。
だが、それもやがて流れていく。
「良かった……。側にいてくれて」
目覚めたのだろうか。聖が幸せそうな微笑みを浮かべながら、開ききってない瞳で私を見た。
「本当に良かった……あはは、悪い夢見ちゃってさ」
焦点の合わない瞳でぽやんと見上げてくるのが愛おしい。
「……ああ、夢でよかった。側にいてくれて、よかった……」
「……栞……」
……………………………………………ッ。……。
聖の眼の焦点が合う。
驚きに見開かれる。
「あ……」
「……よ…うこ……?」
聖は顔を微笑の形で凍りつかせたまま絶句し、
腕をかかえていた両手を脱力させた。
私はいま、どんな顔をしているのだろうか。
考えたくなかった。
だから、眼の前にある半開きの唇に自分の唇を重ねた。
抵抗は、なかった。
私は初めて自分の理性が崩れ落ちる音と——他人の感情が凍りつく音を聞いた。
冬休みを挟んだから長く感じるとはいえ、栞さんと別れてまだ実質数週間。
どんな不測の事態が聖の身に起こっても(またあるいは彼女自身が起こしても)おかしくない……。
そう思って、細心の注意を払って彼女を見ていたのに。不覚だった。
慌てて保健室に駆けつけると既に白薔薇さまと保険医が談笑していて、聖は静かに無防備に眠っていた。
保険医はただ疲れがたまっているだけだから大丈夫と言っていたが、私は気が気でなかった。
疲れがたまるということは眠れていないということではないのだろうか。
眠れない原因なんて……容易に想像がつく。やはり心配だった。目を離してはいけないような気がした。
だから無理を言って昼休みからずっと付き添わせて貰っている。我ながら大胆で意味不明な行動。
保険医に呆れられ白薔薇さまには苦笑されたが、ここで聖を見守る以外の選択肢なんて私にはなかったし
こんな状態でまともに授業が聞けるとも思えなかった。
ベッド脇にパイプ椅子を設置して、彫像のような端整な顔を見つめ続けた。瞬きすら惜しんで。
もうすぐ6時間目のチャイムが鳴る頃だろうか。外は冬らしくどんよりと曇っている。
保険医と白薔薇さまは5時間目にはそれぞれの持ち場と教室に戻っていったので、
もう1時間近くも聖と私は二人きりでこの白くて暖かい部屋にいることになる。
二人きり、だなんて。何を意識しているんだろう。軽く頭を振って余計な考えを振り払う。
聖は……静かに眠ってはいる。
ただ、引き結ばれた口元とときどき不快げに寄せられる眉がその眠りが静かなだけで
安らかではないことを示していた。
聖の心をこんなにも苦しめ乱すあのひとが羨ましい。
同時に私の心をこんなにも締め付ける聖が恨めしい。
「……はぁ、はぁ、はぁ」
しばらく当て処のない思考の海に沈んでいた自我を、苦しげな聖の声が表層に引っ張り出した。
「んくっ……はぁ、はぁ・・・…」
悪い夢でも見ているに違いない。
目を瞑ったまま眉間に皺を寄せ息をあらげ、白い喉を上下させてうなされている。
「大丈夫だから……」
そっと呟いて左手で頭を撫で、右手で弱弱しくのばされた手を握ってあげる。
強く握り返される右手。少し驚いたが、なされるがままにしていると聖は両手ですがりつくように
私の右手を胸元にもっていき抱え込んだ。倒れた、と聞いたときとは別の感覚で皮膚が粟立つのを感じた。
同時に鼓動が伝わってくる。
最初早鐘のようだったそれは、徐々に落ち着いてトクトクと安らかな音に戻る。
浅かった呼吸も、深くゆっくりなものへ。
私の心音とはまるで……逆。
胸が苦しい。でも、ずっとこうしていたい。
悠久とも思える一瞬。
だが、それもやがて流れていく。
「良かった……。側にいてくれて」
目覚めたのだろうか。聖が幸せそうな微笑みを浮かべながら、開ききってない瞳で私を見た。
「本当に良かった……あはは、悪い夢見ちゃってさ」
焦点の合わない瞳でぽやんと見上げてくるのが愛おしい。
「……ああ、夢でよかった。側にいてくれて、よかった……」
「……栞……」
……………………………………………ッ。……。
聖の眼の焦点が合う。
驚きに見開かれる。
「あ……」
「……よ…うこ……?」
聖は顔を微笑の形で凍りつかせたまま絶句し、
腕をかかえていた両手を脱力させた。
私はいま、どんな顔をしているのだろうか。
考えたくなかった。
だから、眼の前にある半開きの唇に自分の唇を重ねた。
抵抗は、なかった。
私は初めて自分の理性が崩れ落ちる音と——他人の感情が凍りつく音を聞いた。
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