黄薔薇革命

ひと時の運命づけられた断裂の後に再びその首にロザリオがかけられようとしているとき、由乃は夕立が去った後のアスファルトの湿気と、沈みかけの太陽が真西から照らす一日のうちで最も弱い光が混ざりあった、あの十歳の遠い晩夏の日を思い出していた。従姉の家の居間で従姉が剣道の練習から帰るのを待ちながらもワンピースの下の肌に触れる程よい温度の空気と柔らかい西日のせいでいつしかうとうとと微睡んでいたその日の夕暮れ、初めて他人の唇の感触と温度を知ったからだ。

 帰宅してただいま由乃と言った令はしかし名前を読んでも反応せずに畳に髪の毛を薄く広げて寝入っているように見える由乃を前に、何かを確かめる風に大きく震える息を一回吸って吐いた後そっと覆い被さってゆっくりと自分の唇を目の前にある唇と重ねた。由乃の知覚の中で練習帰りの汗の匂いと西日にわきたった畳の匂いと令の匂いと令に跳ね返った自分の匂いとが混ざり合って妙な程静かに落ち着いたしっとりした空気になり、粟立つ皮膚と心の表面を覆い時間を止めてしまったので由乃は目を開けることができなかった。

 唇が離れて数瞬後再び時間が動きだしてヒグラシのカナカナと鳴く声が耳に蘇っても由乃は自分と畳や自分と空気や自分と手を触れ合わせている令との境界線がわからず、葦の無い湖畔のようなぬかるんだ微睡みから抜け出せずにいた。やがて我に帰った令が慌てて立ち去り夕日が完全に沈んだ後に初めて由乃は目蓋を持ち上げて身を起こし、急速に温度の下がった空気の肌寒さに少し身震いしながらキッチンに行き、なんだかしどろもどろの令とそれを訝しむ令の両親と食事を共にしてから初めて現実への足がかりを掴んで同時にとても怖くなった。

 家に帰ってから三日間37度8分の熱を出して寝込んで飲むように言われた毎食後の風邪用の苦い粉薬を通算十回目に口に入れて水で流し込んだあと、ベッドの上の由乃はやっとのことで考えるのを止めるという決心をつけ目の前で冬用の編物をしている令に言った。


「わたし、令ちゃんが好き」


呆気にとられた令が棒針を取り落とした瞬間に由乃はベッドから飛びかかるように令に抱きついた。


「ばか、令ちゃんのばか、令ちゃんが悪いんだからね……」


 父に抱きついたときとは違って柔らかい令の身体の感触を改めて実感し、流すまいと思っていた涙を結局は溢れさせ、もし羽根がはえていたらむしりとってやるとばかりに令の肩甲骨に爪を立てながらいつか本当に自分の望む意味で令が抱き返してくれるときが来るだろうかと考えて更に泣き、それはただ自分のわがままであるかもしれないと思ってもっと泣いた。

——。

 ひと時の運命づけられた断裂の後に再びその首にロザリオがかかったとき、いつか来る葛藤や再び襲ってくる煩悶やいつしか訪れるかもしれない別離のために、由乃は運命に追い付かれることがないように私こそがもっと強くあらねばならないと十字に誓い微笑んで令の瞳を真っ直ぐに見た。
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